街中に赤と白のインドネシア国旗が掲げられている。
そう、8/17はインドネシア独立記念日であった。
もう1週間前からコマンのワルンの通りも小さな国旗を連ねたものが
ワルンからワルンへとつないであり、まるで日本の盆踊りの時みたい。
(ちょっと違うか・・・;)
独立記念日の前日、ご近所のワルンと一緒にちょっとしたパーティーを開く事に。
「やっぱりアメリカみたいに派手に花火とか上がっちゃったりするのかしら・・・」と、
お祭り大好きの歌織はまたもやワクワク。(笑)
コマンが市場からたくさんのお魚を仕入れてきてバーベキュー開始。
「ふんふん、いい感じじゃない。やっぱりみんなで乾杯とかするのかな?」
なーんて思っていたが、普通にご飯を食べていつものおしゃべりが続き、
あっという間にお開き。「あれ?こんなものかしら?」ちょっとガッカリ。
ただテレビではメガワティー大統領が官邸前でバックに官僚を従え、
マイクを取って大演説・・・いや、バックダンサーを従えて歌っている!?
「はいっ?何で大統領が歌ってんの?」はいはい、本当です。日本では考えられない光景ですね。
だって日本の首相が全国中継のテレビで紋付袴着て演歌歌ってるようなもんだ。
しかも式典で、、、(これもちょっと違う?でもそんな感じ)「インドネシアって大統領が歌っちゃうわけ?」って友達に聞いたら、
普通に「そうだよ。」との答えが返ってきました。ちょっとカルチャーショック。
ふと、隣にいた日本人観光客。「日本にも独立記念日ってあるのかなぁ・・・。」「・・・・・・。」おーい、大丈夫か?この人、、、
インドネシアが独立を宣言した年は1945年。日にちは8月17日。
そう、日本の終戦記念日のわずか2日後。
日本が太平洋戦争中にインドネシアを占領していたのは知っていたが、
まさかわずかほんの終戦2日後に独立宣言をしたとは、、、
いまやバリ島は観光地として栄え、多くの日本人観光客で賑わっている。
しかし、その中で私達日本人がこの土地を占領していたなんて知っている人間はわずか、
知っていたとしても厳粛な気持ちになっている人はほぼいないだろう。
歌織だってその一人だったんだから・・・。
古くからオランダの植民地としてはあまりにも有名なインドネシア。
ただ歌織の祖父の時代に日本が少しの間でもここを占領していたのは紛れもない事実だ。
日本国民が彼らに与えたものは何だろう?
日本側は太平洋戦争遂行の為インドネシアの資源、人間を必要と考え、そのため「戦後独立」の約束を交わし、協力を得た。
そしてここから資源をアジアの激戦地へと運んでいたと言う。
もちろんその時インドネシア人が貧困生活を送っていたのは言うまでもない。
そして末期には義勇軍と名をつけ、多くのインドネシア人を戦争へと巻き込んだのも紛れもなく日本人である。
但し、それと同時に日本側は全国住民組織、軍隊など、オランダが決して教えなかったことを教え、
インドネシア人に大きな刺激を与えたのも事実であろう。
歌織は歴史解説者でも何でもないが、この事を一人の日本人として知っておくのは当たり前の事だと思う。
ましてやこのインドネシアに住んでいるんだから。。。
歌織が羽を休めに行くチャンディーダサへ行く途中、小さなコンクリートで出来た洞窟がいくつもあるのにいつも疑問を感じていた。
そう、何とこれは日本人が戦争中に掘ったものだというのだ。それを聞いて衝撃的だった。
頭の中で「戦争」「占領」「日本人」が結びついていく。
今まで日本にいても「戦争」については全く現実的ではなかったが、実際「戦争の跡」というものをこの目で見るとさすがに動揺してしまった。
それでもやはり今の若い世代のインドネシア人はさほどその事は気にしていない様子。
(これは日本でもインドネシアでも変わらないのかな・・・?)
でもたまに「歌織、昔日本人が戦争の時ここに来たんだよ」って言われる事がある。
その時なんて答えていいか迷うが「うん、知ってる」しか言えないでいる歌織。他に何が言えるだろうか。
無責任な言動はしたくないし。。。と、いつも悩ませるのであった。
ただ、どんなに若い人だろうと「愛国心」(バリでは特別「愛島心」だろうか?)と言うものは持っている。
これはインドネシア人に限らない。コマンのワルンではたくさんの外国人が集まる。
(これは彼の人柄の良さだろうか)その時「歌織は日本のどこが好き?」と、問われた時、言葉に詰まってしまった。
無論彼らは自分の国が一番素晴らしいと考えているし、実際ペラペラと「自国」について語るのである。
もちろん悪い所だってちゃんと知っている。単なる年寄りの説教ではない。年だって歌織とほぼ同じなんだから。
自分の生まれた国は誰だって好きだろうが、今日本人の歌織の同世代に「あなたは日本が素晴らしい国だと思いますか?」
の質問にどれだけの人が答えられるだろうか。歌織も日本にいる時は考えた事なかったな。
でも実際、戦後の焼け野原からたったの何十年でこれだけの国が出来てしまうって誰が予想していただろう。
多数の犠牲者が出て、しかも敗戦の薄暗い未来も見えない中、ここまで私達の生活が快適になり、
何不自由なく暮らせているのはやはりその時の日本国民一人一人ががんばったからじゃないかな。
誰が偉いわけでもない、すごいわけじゃない、みんなが必死だったんだよね。きっと。「自分達の国を建て直そう」って。
「国を愛する心」正しくこれだな。素晴らしいじゃない、日本人ってさっ。
そんな思いを胸に、8月15日、お祈りをしてみた。(バリではスンバヤンと言う)